笑い飯 西田のオヤジの話に学ぶ、悲しさを笑いに変える方法
「悲しさ」と笑い
松本人志が主催する「すべらない話」という番組は皆さんご存知だろう。
様々な芸能人が、各々「すべらない話」を持ち寄って話すというものだ。
すべらないと銘打っておいて、それでもなお爆笑をかっさらう話術は本当にすごい。
その派生シリーズに「ゾッとする話」という番組が放送されていたことがある。
その名の通り、芸能人がゾッとした体験談を話すのだが、本格的なホラーから、怖いけれども、どこか笑ってしまうようなものまで話の幅は広い。
個人的に好きな話は山ほどあるのだが、最近見た、笑い飯の西田の「オヤジ」という話がおもしろかった。
まずは実際に見ていただこう。(3分ないくらいだからすぐ見れるよ)
次に、この内容を文字に起こしてみたいと思う。
西田には公務員の真面目な父親がいた。これといった趣味もなく遊んでいる様子もない父親に対して、西田は何を楽しみにして生きているのだろう?という疑問を抱いていた。
すると、西田が高校生のある日、夕飯を食べているときに父親が突然、持っていた箸を机に叩きつけ、「全然おもしろくない!」とつぶやくのである。
その後、退職金を先物取引につぎ込み、トウモロコシを2トン購入。しかし、それもあえなく失敗し、家族からの信頼が地に落ちた。
以上である。
読者の皆様はこれを見て、おそらく「ゾッと」されたと思う。
私自身も書き起こしながら、思わずゾッとしてしまった。
そう、内容だけ見てみると、端から端まで悲しい話なのである。
しかし、西田が実際に話すとめちゃくちゃにおもしろい。
やっぱりお笑い芸人の話術はすごいんだなぁということだろうか?
もちろん、それも大きな要素だ。
彼らは話のプロであり、素人が真似しても同じレベルのクオリティを出すのは難しいだろう。
しかし、だからと言ってお笑い芸人がどんな話でも笑わせることが出来るわけではない。
内容に笑える要素は必須条件だ。
では、この悲しい話に含まれるおもしろさとはなんだろうか?
逆説的だけれどそれは「悲しさ」だと思う。
ちょっと振り返ってみていただきたいのだが、人の話す「楽しかった」話ってつまらないことが多くないだろうか?
自慢話がその典型だ。
「彼氏/彼女とどこそこに行ってきた」とか、「○○の大会で優勝した」なんかの話は羨ましがられることはあっても、爆笑をかっさらうことはまずないと言って間違いない。
それよりも「気にくわねぇやつだな」と思われることの方が多いだろう。
一方で、人の話す「悲しい」ことはおもしろい。
人の失敗談とか、人の不幸な話は悲しくてもやっぱり笑ってしまうし、自分の悲しい話も時間が経って振り返るとやっぱり笑ってしまう。
結局、何が言いたいのかというと、悲しかったことを溜め込んでメンヘラになるんじゃなくて笑い話にして昇華した方が健康的でいいんじゃないかっていうことだ。
以上ちょっと胡散臭いセミナーみたいになっちゃいましたが、読んでいただいてありがとうございました。